言も積もれば葉

長話したいときもある

2023年買って良かったもの

今年買って良かった物リスト、というよりも今年買った物リストになってしまった。
BGMにみなみしまさんの24時間アートラジオやRiJ2023Winterを聞きながら書いている。
 
BTイヤホン Sony WF-1000XM5
 音/解像が良くてマイク性能も良い。ノイキャンもめちゃくちゃ強い。専用アプリにファインド・ユア・イコライザーという、音楽を聴きながらアプリが提案する音色を選んでいくことで好みのEQ設定を作れるという機能があって、これが良かった。できあがったEQ設定はユーザーが弄れるEQとして保存されるので、更に少しだけ触って詰めることもできる。
 EQいじるの好きなのだが下手なので好みの音に詰められないため結局、細かな不満はありつつデフォルトか好みに比較的近いプリセットで我慢することがほとんどだったので助かった。
 
加湿空気清浄機 Sharp KC-R50
 学生時代から使っていた加熱式加湿器が壊れたのと、鼻炎気味のため兼ねて加湿空気清浄機にアップグレードした。手元の温度計/湿度計を確認する限り、暖房を付けていても50%は切らないため大変重宝している。空気清浄機能も良く、鼻炎も若干よくなっている気もする。ただし、お香を焚くと反応するのだけは玉に瑕……。
 
サーキュレーター 山善 YAR-DDW152
 エアコンの効率アップのため購入。いつの間にサーキューレーターにリモコンが付くようになったのか……。隔世の感を禁じ得ない。上下首振りと左右首振りがそれぞれ独立してON-OFFできるし、風量も調節出来るしなんかすげぇなって思った。便利。
 
衣類スチーマー T-fal アクセススムーズ イージー
 最近ちゃんとした服を買うようになったのでケア用品をちゃんと買おう企画①として購入。5分か10分そこらでまあ許せるくらいにまで仕上がるのが大変素晴らしい。アイロンは時間もエネルギーも持って行くのでこの両方を省略できるのはすごい。隔世の感を禁じ得ない。自分はアイロンを掛けるほどでもなさそうなシワをケアする目的でしか使っていないが、アイロンと衣類スチーマーの仕上がりを使い分けるとより「らしく」なるということなので上手く和解していきたい。
 余談だけどT-falでなんでティファールと読むのだろうと思ってwikipediaを見たらテフロン(Teflon:英語)+アルミニウム(aluminiumu:仏語)を組み合わせた造語らしい。TEFALで展開している国もあるそうなのだが、なぜeを「-」にしたのだろう。文字と音が直感的に合わな意ので不思議。TEFALでは技術を名前が示してしまうため、eを伏せることでテフロン+アルミニウムという構造を隠したかったのだろうか?
 
立式アイロン台 山崎実業 スタンド式人体型アイロン台 アルミコーティング
 公式ページが見つからなかったのでもう廃盤かもしれない。
 衣類ケア用品を買おう企画②。コードレススチームアイロンは既に持っていて、併せて座式のアイロン台も買った(多分スーツ手入れ目的)のだが、立式に移行。座ってのアイロンがけがやりにくいのと床に服が付くのが好かないので立式アイロン台がほしくなった。アイロン掛けるためにいちいち掃除したり、服が引っかかりそうな周囲のものをどかすのが面倒くさい。本質は掃除をしないことと片付けをしないことなのだが……、低きに流れて楽したいよね。
 実際、立ってのアイロンがけの方が全身を動かせるのでアイロンを操作しやすいし、アイロンがけする衣類の移動やアイロンの水タンクの補充などちょっとしたことでの立ち座りもなくなって全体的に楽になった感覚がある。
 余談続きだが、こんどはアイロンの暖め時間がかったるいので有線のアイロンがほしくなってきた(こうして終わり無くものが増えていくのだ)。
 
トラックボール Kensington Expert Mouse Wireless Trackball
 
 エレコムのHUGE(https://www.elecom.co.jp/products/M-HT1DRBK.html)から乗り換え。壊れたわけではないのでHUGEは会社で使っている。ボールの回転がよりなめらかになったので、指の疲れを軽減しつつ大きくカーソルを動かせるようになったことがかなり大きい。ディスプレイ横3枚を楽に移動出来るって良いですね。リング型のスクロールも慣れるととても楽だし、ボタン操作も良い感じ。繰り返しになるがボールの回し心地が良くて、無意味にカーソルを移動させるだけでも楽しい。
 
南部鉄器 鉄瓶 (1.1L)
 ずっとアガるヤカンが欲しかった。コーヒーや茶を趣味にしている人間としては薬缶との付き合いは必須になるのだが、なかなか所有欲を満たし、大切に使おうと思うものとなるとそれなりに高くなるのでずっと様子を見続けていた訳だ。
 これは悪い癖なのだがどうせ買うなら一生物といった思想が自分の中にあり、ならばいっそと南部鉄器に手を出すことにした。意匠も格好良いし、水と接触する面がコーティングされていない鉄瓶は煮沸中の鉄の溶出で味が丸くなると言うのを良く聞いていたので白湯も美味かろうと思った(実際美味い)。ちなみに、内部がコーティングされているものは急須と呼ばれているようだ。
 何はともかくこれで沸かせば美味い白湯が飲めるというのは素晴らしいもので、茶もコーヒーの抽出もやらずに白湯ばかり飲むようになってしまったが。だって美味いんだもの。
 今日日、何を買っても長持ちするため、試しで買ったものが壊れたことを足がかりにしてアッパーグレードを買うというズボラ購買スキームが成立しにくい。安価で長持ちするのは良いことだが、凝り性の末席に座す身としては動きにくい。壊れてないのに更新するって身振りが苦手なんですよね。消費社会を生きるのに向いていない。
 
 
ウォーターオーブン Sharp ヘルシオ AX-HA20
 オーブンを使った料理や菓子を作りたくなったので買った。こんなミドルエンドだかハイエンドのエントリーだかのハイグレードを買うつもりは無かったのだが、店頭で販売員さんと話しながら選んでいたらいつの間にかここまで来てしまった。
 高機能グレードなだけあって、オーブンの予熱は早いし、何やっても十分に温まるし焼けるし満足している。これのおかげで週に一本パウンドケーキを作る習慣が付き、朝食が豪華になった。高機能すぎて全く使えていないので、付属のレシピ本(こういうの本当に助かる)見ながら色々作りたい。
 お任せ調理なる機能があり、煮る焼く蒸すなどのオート調理が可能でとりあえず鶏肉に塩と香辛料振ってダイヤルひねってボタンを押せば何かしら食えるものが出てくるというのはすごい。また、ハンバーグの生種だけ作って冷凍し、その冷凍生種と野菜を一緒に並べてボタン押せばハンバーグとグラッセができるわけで。隔世の感を禁じ得ない。
 
 菓子作りのために買った。手頃な値段で菓子初心者には十分良い。まぁ、まだパウンドケーキしか作ってないけど。
 
 BARTH(https://barth.jp/)と併用している。BARTHは温まるが無香料でつまらないのでクナイプバスソルトに頼ることにした。ロータスジャスミンとパイン(松)&モミの2種が気に入っている。良い香りに包まれて湯船でゆったりするのは良いものですよ。
 
ポット型浄水器 BRITA アルーナ
 もっと小さいブリタ浄水器を使っていたのだが、物足りなくなったので大きいのにアップグレード。そのまま飲んでヨシ、煮沸してヨシ、エスプレッソ用の水にしてヨシ、料理に使ってヨシetc.の多方ヨシ。室温での使用に賛否はあるだろうけど、私は腹壊したこと無いので今のところ気にしなくてもいいかなーの気持ちで使っている。
 浄水カートリッジのコスパについても自分は3ヶ月くらいに1度交換するくらいなのであんまり気にするほどでも無いなって思っている。カートリッジの浄水可能量が150Lなのに対して平均で1.5L/日も使用しないので。
 
その他
ここに書いたもの以外にも本やらCDやら服やらゲームソフトやらあるが除外した。アーマードコアⅥ以外何買ったか思い出せないくらい(というと最近買った物は覚えているので語弊があるが)テキトーに買ったためとレビューするほど聞き込んだり読み込めていないためだ(ということにして茶を濁しておく)。
 とはいえ、いずれも失敗したと思ってはおらず、読み、聴き、着込み、プレイしたこれらが与えてくれた経験と感覚はすべて素晴らしい物だった。
 積むという行為の罪悪はこういうときに突きつけられるのだな……。プロダクトに対して大変申し訳ないという思いはあるのでポツポツ書くかもしれない。期待はできないが。

成功と失敗。それと買い物のギャンブル性からの撤退戦術に対する書き散らし

最近、日記を書こうと試みているのだが恐ろしいことに今週は何も書けていない。

驚きとともに悲しみを背負いながら、それでもなんとか今日こうして書けること、書く気になったことを言祝ぐしか無い。

少なくとも、後悔によって行動を後押しするよりかは、できたことを言祝ぎ成功体験として積み重ねていったほうが精神に良い。

 

成功をデザインしたい

成功体験というと、なにやら100点満点となったことを指し示すようなきらいがあるが好みではない。自分にとっては単位取得できたくらいの意味であり、6割そこら取れていればとりあえず成功と言った風に考えている。Cだろうが可だろうがSだろうが優だろうが単位取得は単位取得である。

それはそれとして取りこぼした数十点分は、きちんと把握し、可能な限りフィードバックする。

評価基準をマルorバツの1項目だけにするとしんどい。避けたい。複数のマルバツ項目があるようにしたい。

 

どこまでをパッケージとするか。適度に成功体験として認められつつ、適切なフィードバックを得られるデザインが望ましい。

成功しつつも今後の成長/修正項目がある、というところがゲーム的には優秀と言えると思われる。

十分に評価可能でかつ、十分に今度に活かせるフィードバックを得られるパッケージのデザインは困難であろうが、それを諦めてしまえばある一つの決定的な行動が成功したか失敗したかだけを評価するだけになる。あまり進歩性がない。

一つの決定的な行動はそれまでの複数の補助的な行動によって成否が決定する。一連の行動、アルゴリズムを評価・修正すべきだということだ。

 

 

友人が買い物について考えていたので、自分も買い物について考えていたら全く別の論になった

 

初めてそのジャンルのものを買うとする。

はじめの一歩はもう何もわからないので失敗することまで織り込むしか無いとなる。

直感的な好みで一つを決定するしか無いだろう。あるいは使用シーンをなんとか想像して、手持ちの経験で最適解と思われるものを手触りとして持っておくしか無い。

決めるときにはその手触りにとにかく近いものを選択する。

しばらく使って良いならばそれで良い。どこが良かったか考えてそれをつかめるようにアルゴリズムを強化する。

なにか違うと思ったらそのフィードバックを次の決定に活かす。

おそらく、このような内部プロセスを自分は踏む、はずだ。これらがスキップされたときは、何らかの外力が別に働いていると思われる。オタクは押しグッズと突然の出会いに弱い。勝てない。

 

買い物のリスク・リターンとそれに失敗すること

失敗はしたくない。すると落ち込むし、金銭も失う。自分のセンスの無さをガン詰めしたくなる。

そういう事を避けたい。避けるには失敗まで織り込んだ上で支払えるコストしか使わないよう心がけるしか、失敗に対して強く落ち込まない方法はないのではないか。究極的には失敗する可能性(そして失敗によって落ち込んだり掛け金を失う可能性)さえもベットしているからこそハイリスク・ハイリターンは成立する。

特に売買においてローリスク・ハイリターンは殆どない、と信じている(だからこそ掘り出し物という言葉が成立し、掘り出し物につく貨幣価値はその絶対値に対する精神的価値相対的に低下するのではないか)。良いものは高いし、悪いものはまぁそれなりの価格だ。罠めいている点は、高いものが良いものでかつ好みであるとは限らないことだ。

極論すれば、失敗(負け)を許容できないならばベットしないほうが良い。そのような状況からは撤退するべきだ。現実世界においてカイジはおそらく真っ先に死ぬ。繰り返しだが、強く打って死ね!ができないないときはコストの支払いをすべきではないのではないかとさえ思う。

立ち直り不可能な敗北と敗北感からさえ逃れれば、プロトコルの修正でまた立ち向かえる。

 

買い物はもはや賭けなのではないか

自由市場経済において、リスク、コストの支払いによって得られるリターンは一定ではない。買い物はときに、もはや一種の賭けのようにさえ思える。

生活必需品であれば、特に量産品であればリターンの上下は少ない。望んだ通りの結果を得られる。その一方で、一定以上に高級な嗜好品についてはリターンは乱高下する。ときに当たりを引き、あるときは好みに合わない物が部屋の隅に転がることになる。嗜好品とはそういうものだからだ、と言うしか無い。嗜好品に対する評価は個々人によって変わる。なんなら時間経過によってさえ入手した品への評価は変わる。

嗜好品の選定・入手は賭け性が高くなる。上記の理由によって、嗜好品の良し悪しが属人的かつ時間的な変化があるためだ。

無論、下調べや経験の蓄積、勘の鋭さ(なんて属人的な項目!)によって一定のリターンを得るためのコストは下がる。選択肢を狭められる。

つまり、自分が望む、愛するに適した物品を最小の失敗で得られる可能性は上がる。つまり、自分にとってのハズレを引きにくくなる。

ただ、それは金銭というコストの代わりに別のコストを支払っているだけとも言える。調べることによって知識が付く。想像する、考えることによって無限大の選択肢を幾分か有限な量に、自分が処理できるかもしれない量に狭めることができる。

ところでこのとき、代わりに時間を使い、頭を使っている。費やしたコストの総量は果たして減ったのだろうか。電気自動車と火力発電所の関係のアナロジーではないか。

 

労力を注ぎ、使用する金銭が少なくなることを否定するものではない。

失敗するには失敗するなりのプロセスを踏んで間違った意思決定をしている。不完全なアルゴリズムで意思決定をしたために失敗したと考えたほうがまだ健康的だろう。なにせ、改良の余地がある。改良すれば良い。

何より、不可避な失敗は有り続ける。判断力は限界で、好みとは無限だからだ。

買い物において成功以外したくないという気持ちは自分にもある。しかし、特に嗜好品の買い物から失敗する可能性は排除できない。あまりに総合的で時間的に掌握困難な評価が最終的に下され得るものに対し、絶対の成功はない。未だに本を買うことでさえ失敗する。最近も失敗した。

失敗したくないからこそ人は調べ、一定のネタバレを踏み、他人(友人やキュレーター、インフルエンサーだろうか)の意見を取り入れ、自分の楽しみの一部を捨ててまで何かしらの決定をする。成功というものを得たいようにさえ見える。近視眼的な、ある一つの物事の単一的な成否という事項における成功という概念を蚕食している(したいと願っている)ようにみえるということだ。楽しめる限りにおいて、悲しみは悲しみとして味わってもよかろうと思う。あるいは、金銭の価値が金銭そのものの金額以上のものを帯びてきたということかもしれない。しらんけど。

 

買い物からの撤退戦術

ずいぶんと散らかした。

これは、買い物からの撤退戦術的な価値判断だ。脱構築できたのではないかとうぬぼれたが撤退戦術だった。

買い物、あるいはある一定の意思決定と金銭を支払う行為はもはや賭け事に等しいとさえ思える。

そうであるならば、賭けの勝ち負けだけで成否判断するのではなく、賭け行為そのものを楽しめたかを考えるようにしたほうが総合的に勝ったと思える可能性が上がるのではなかろうか。

勝てるように策を施し、予想するのはもちろん良い。可能な限り行うべきだと思う。しかし、それでも賭けに負けたとき、負けた事を笑っていられたほうが少なくとも精神には良い。

それが困難なベットからは引き上げることも選択肢に置くべきだ。

 

ところでこれを、人は買い物のガチャ性から逃れられないと換言するとなにやら絶望的な気分にならないだろうか。

李禹煥の展示を見に行った話

国立新美術館李禹煥展を見てきた。とても面白かった。

 

と言って終わってしまっても良いのだが。もうちょっと書いてみた。

が見事にうわ言になった。自分の言語能力が無いことが恨めしい。

普段放置しているくせにどうして書いているのかと行ったら、李禹煥の展示がとても良かった(と自分は思うから)だ。

なにはともあれ、興味が湧いたらこの展示を見に行って欲しい。そして展示物との対話を楽しんで欲しい。

 

・経緯

特別美術に詳しいわけでもないのだが、なんとなく美術的なものに対しての興味というのがぼんやりとある状態にある。で、ツイッターで美術系のキュレーターアカウントをフォローしているんだけど、そこで李禹煥という人物とその作品を知った。で、これとは全く別のことなんだけど、花譜の不可解参(狂)にも当選していて、ちょうど(良い意味で)東京に行かざるを得ない状況下にあった。とにかく、李禹煥展の会期はちょうどライブの日を包含していたので、併せて観てきた。

 

李禹煥のこととか作品のこととか感想とか(後半はうわ言

李禹煥のプロフィールは省略する。出生や経歴の複雑さは語るに足るものだと思うけれど、調べてもらえばわかることだし、何よりその出生に感動した訳では無いからだ。

彼は「もの派」と呼ばれる、表現体系?時代性を持った一連の傾向を共有するグループ?、まぁとにかくそいういう緩やかなムーブメントのようなものに紐付けられており、制作活動だけでなくその理論的な根拠付けも行った人だ。なんでこんなにふんわりとしているのかというと、もの派という名前あるいはグループ分けがあとから付いたもので、「もの派」なる派閥を立ち上げてその旗のもとに活動を推し進めていたわけではないようだからだ。このふんわりした感じは、なんとなく思弁的実在論を彷彿とさせる。少なからず、重なる部分があるような気もする。直感的に。現状では、李禹煥以外のもの派の作品を見れていないため、ここで言うもの派は李禹煥の(しかも国立新美術館展で展示された)作品を指す。

 

何はともかく、李禹煥/もの派の作品がとても面白かったのだ。

 

細部を切り捨てた言い方をすると、李禹煥の作品はとてもミニマルだ。たとえば、風景というタイトルのカンヴァス一面に蛍光塗料が塗られただけのものであったり、関係項というタイトルの石がガラス板に置かれているだけ、あるいは下敷きになったガラス板に石を落としてガラス板にヒビが入った状態で展示されているだけだったり、する。絵画作品もカンヴァスに点が一つ打ってあるだけだったりする(タイトル:応答)。文字で読んでも何もわかるまいと思う。そしてその再生可能性の欠如が私の筆力不足であることも認める。が、李禹煥の作品はもう、どうしようもない。見てくれ。少なくとも画像として。殊、美術制作文字にすると、表現の対象が陳腐化することはままあることだと思うが殊更に李禹煥はその傾向が強いと信じている。見てくれ。

 

一面に一色の蛍光塗料を塗ったカンヴァスやら、ただガラス板においてある石やら、点やら、何がそんなに面白いのだと疑問だと思う。

ただこれが面白かったのだ。面白さがどこだったのか、なんとか書いてみようと思う。

 

もの派と呼ばれる傾向は、とにかくその作品として設置された設置物を見る/観る/鑑ることを求める。

とにかく鑑賞者は眺める。回り込んで360度から、上から覗き込んだり、しゃがんで下から見たり。上下左右、四方八方からひたすらに眺める。近くで石の肌理を見たり、遠くから全景を眺めてみたりする。何はともかく見る。観察するように見る。見た。

しばらくやっていると、この見る行為そのものが作品として、内部に吸収されたような気持ちになってくる。先回りして補足するが、いわゆる「写真を撮る人を撮った写真」のような形式で「作品を見る私という主体」がその作品の一部になるというものではない。

また、やや転倒したことを書いてしまうのだが、作品として設置されたものを見る/観察するという行為/体験こそが李禹煥の作品なのだと思う。そして、この行為は意識の中で循環参照的な、あるいは無限に螺旋的な循環を私の中に生じさせる。現代思想における差異を物質的に体感するとこうなるのではないか。

 

私が作品を見る。そして作品から無言のフィードバックを得る。そしてさらに見る。また無言のフィードバックが返される。私→作品→私→作品→私→……。

私が移動することで、私と作品の位置関係は刻一刻と変化し、それによって無限の新しいフィードバックが返される。別の言い方をしようとするならば時間の経過によって、物理的な位置と精神的な状態が(微小にでも)変化する時間関数としての私(t)と、鑑賞時間Δtでは変化しない定数としての扱える作品の差分として発生するフィードバックが無限に返ってくる。

 

さらに、絵画作品において顕著であるのが、カンヴァスの大部分の余白を飛び越えた先の外側へ向かう残響のような感覚。カンヴァスに打たれた巨大な点を震源地として、いま言語化困難な、視覚的なような第六感的なような、言いようのない響きのようなものを感じた。

自分と巨大な点の間の無限に変化する循環の途中でふとその点の外側に意識が向いたときに、その外側が異様に意識される瞬間がある。そのときにその、視覚-第六感的残響がカンヴァスを超えて、それがかけられた壁の上を滑っていくのが見えたように思えた。これらは決してカタルシスを与えるものではなく、むしろ驚愕だった。

そんなこんなで、モノはただそこに在るだけで他のモノに少なからぬ影響を及ぼすし、その影響は無条件に相互から発されるし、その及ぼし方は一つ一つ違っているし、相対する2者の間を超えてその外部空間にも容赦なく、無限遠に何かが波及していき、そしてそれは無限に変化しずれ続けていく。そういう感覚を圧倒的な強度と濃度で味わってきましたとさ。

 

あーなんかもう何も言えねぇ。これを表現する語彙がわからねぇ。見に行って驚いてくれ……。まじで、頼む……。

 

おしまい。

箱庭と人形

1年あたり2~3作ほど拙い小説を書いているわけだけれど、お話を作るときに大きく2パターンあるなということを改めで実感したので、物語の駆動力に関して書いてみる。

 

物語を書くときの、2つの駆動力。

単純に言えば「お話を作ろう」と思ったときに、

・世界

・人物

の2つうち、どちらを主題にするかということ。

 

物語は人物という関数と世界という関数を掛け合わせ、演算したもののように今は考えている。要は、物語は人物が世界を変容させたり、反対に世界が人を変容させたりする様子が時系列に沿って描写されて成立している。もちろん、変容しない場合だって、時系列が入れ替わっている場合だってあるけれど。

ただ、物語を作ろうと思い立った殆どの場合、どちらかを先に思いつきそれを話題の中心に据えようとするだろう(ウンウン唸っている間にいつの間にか逆転していることだってきっとよくある話)。

 

世界の話をするならつまり、ある特異的な地理・気候あるいは社会システム、はたまた人間関係といった特定個人(=概ね主人公やその近しい人物)に作用する外的な環境を主眼においた描写や演出をするだろう。

そのとき、世界はそこに住む人々を翻弄し、慌てさせ、悩ませる。そのように作者は書くだろうし、読者は渦中の人々を観察することでその世界の法則や状態を理解するだろう。

反対に、個人つまりある人格あるいはそれに相当する主体的なモノが輝くようにそれについて細かく描写・演出する場合だってある。

このとき人々は意志を持って世界に働きかけ、世界を意志に沿うように変革せしめんとするだろう。

世界と人物は相互に作用し、変質する。その様子を物語はすくい上げる。ただ、どちらか一方がより強く作用する。

 

一番素晴らしい作品は素敵な世界観の下で生き生きと魅力的な人物を描き出す。そのような作品が読んでいて楽しい作品だ。

また、どちらか一方に主題が寄っているからと言って、もう一方が蔑ろにされているなんてことはない。殆どは世界に焦点が当たるターンと人物に焦点が当たるターンの両方往復しながら物語は進んでいく。ただ、物語全体を見渡したときに世界に人物が従属するときと、人物に世界が従属するときがあるというのが個人的な実感で、必ずどちらかのウェイトが重くなる。

 

例えば、時雨沢恵一キノの旅シリーズや神林長平オーバーロードの街や伊藤計劃の3作、飛浩隆のグラン・ヴァカンス、田中ロミオ人類は衰退しましたなどは世界にウェイトが寄っていると思う。

人物に寄っている作品としては神林長平戦闘妖精雪風シリーズや飛浩隆の零號琴、河野裕の階段等シリーズや、さよならの言い方なんて知らない。、森博嗣スカイ・クロラシリーズ等がぱっと思い浮かぶ。

 

拙作においても、特定のキャラクターを描きたいから書いた話とある世界観を書きたいから書いた話の両方がある。

最近は、読むのも書くのも世界が優先されることが多い気がしている。そして、最近好きなキャラクターが出来ていないことに気づいて愕然とするなどしている。

などと言う割に、書くのは二次創作ばかりなのだけれど。

劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライトのネタバレ込み感想

はい、というわけで見てきました劇場版レヴュースタァライト

TLがアニメ放映からずっとざわついていて、映画になってまたざわついて。気になってはいたんですよ。ええ。

3連休最終日をizotope11点セットをアクティベートするだけで終わらせるな、華々しく終わらせろとというゴーストの叫びに蹴っ飛ばされてやっとこさ見てきました。

 

視聴前のステータスとしては、”作品名以外知らない”。

 

詳しく言えば、TLでは「スタァライトする/される」といった本質的な意味を取得することが不可能なミームとしてスタァライトという単語だけが跋扈し、なぜか大場ななの存在だけ覚えている(たぶん誰々は大場ななが好きになるはずだといった空リプが目に入ったのだろう)、という9割9部知識無の状態だった。ということになる。ややこしい。

何はともかくTLはスタァライトされた人々が、そのツイートだけで目が輝いている、まさしくスタァライトされた状態が鮮明にわかる、しかし一体どんな状態なのかはわからないといった具合だった。

 

わからない状態には自分がなってみるのが一番早い。というわけでスタァライトされてきた次第である。

しかし結局、書いている今もわからない。しかし、たしかにスタァライトなのだ。君もスタァライトされろ。君だけのキラめきを見つけろ。キラめけ。スタァライトだ。

 

閑話休題

 

さて、本作の優れた点。とにかく構成がとても丁寧で、前情報なしでも非常にわかりやすく、嫌にならずに大枠を掴むことが出来るという点だと思う。

これ、これが本当に丁寧。すごい。だって初見でわかるんだもん。

このタイプの、つまりアニメが前身となっているタイプの作品ということだけれど、キャラクターやその関係性や、何ならそのアニメのストーリー自体を把握していないとどうにも解像度が上がらないという恐れはどうしても拭えない。実際不安だったわけだけれど、問題なく見ることができたということ。

 

というのも、要となるシーンでは基本的には対になる二人しか登場しないので人物に関する情報が交錯することによる混乱というものがとても少ない。世界観的には混乱させられるけれど、登場人物たちの造形と関係性の把握で混乱することはない。

ツッコミを受けそうだけれど、この劇場版は大きく3つのパートに分解できるという立場を取る。パートを下記する。

1. 学園における8人(神楽ひかりは除く)のパート

2. 愛城華恋と神楽ひかりの幼少期のパート

3. レヴューのパート

劇場版の味わいどころは1と2を下敷きとした3のパートと思う。

(各パートの説明において、曖昧な部分があるがご容赦。なにせ1回見てこれを書いているのだから……。)

 

1では卒業を控えていると思しき8人の進路調査が主に描かれた。8人の希望する進路を我々は知り、概ね別々の路線に進もうとしていることが提示された。その進路は一部の面々にとっては挫折の結果とも取れるような発言を花柳香子がする。

これだけでめっちゃわかりやすい。細かい各々の造形はともかく8人が8人なりに自らの蹉跌と折り合いをつけようとしていること、各々がそれぞれの理由で燻っていることがわかる。

先の話をしてしまうけれど、ここでその燻りは対となるキャラクター同士の関係性や屈託だった。ただ、1のパートでは表立って描かれないので、レヴュー中の二人が大立ち回りをする動機がちょっとわかりにくいよねとは思った。というか、自分が戸惑った。このあたりはアニメ見てるとわかるところなのかな。

 

2.で語られるのはそのまま、華恋とひかりの幼少期のストーリーだった。これに関しては自分は情報という形で処理してしまったので、二人が幼馴染で、幼い頃から歌劇の演者としてあったのだなというくらいで止まっている。ともかく、劇中において二人は宿命的に相棒であり対決する表裏の存在であることが強く押し出される。

ここも、アニメ見ていると、華恋とひかりへの造詣が深まる点なのかなという感じ。ここでエモを深めておくと最後のレヴューのエモ度がバク上がりしたのかもしれない。初レヴュースタァライトが劇場版であることのもったいないポイントかも。自分は二人のレヴューが殤不患が魔剣を使い出したくらいのシーン構成的なパーツとしてみえてしまったんだよね。感想を書いていくと、事前情報無しだともったいないところが出てきてしまうな。

 

3のが本命のパート。少女たちがレヴューと呼ばれる空間(便宜上こう表現する。詳しい人補足で教えて下さい……。あの空間は一体何ですか……。)のパート。

1対1のレヴューが繰り返され、積み重なり、エンディングへと駆け抜けていく。

このパートすごいなーと思っていて。まずこのパートが最初の大場ななが大暴れする皆殺しのレビュー(だっけ)以外は、”対になる二人が戦闘しながらお互いへの思いを吐露する”という構造の繰り返しで構成されているというこの点。これが、とにかく我々の頭を混乱させないとても親切な構造ということ。

これのおかげで、キャラクターがたくさんいながら、初見でも混乱せずに彼女たちの個性と関係性の両方を把握・記憶できたと言って過言ではないと思う。

 

それぞれのレヴューについて話しながらまとめへ。

・皆殺しのレビュー

電車は必ず次の駅へ。では、歌劇少女はどこへ?という問いがなされるシーン。

大場なな大暴れの巻。正直葉之倉はこれがキャラクターたちにとって何だったのかよくわからない。レヴューのルールというか、金色のボタンを切られたら負けというのが提示される初見救済ポイント。

いきなり大場ななが悟ったと思ったら全員に切りかかっていって全滅したとしかわからない。学園編で「みんな話し過ぎだよ」とかクールキャラ決めてた大場なながいきなり全員に切りかかって大場ななの謎が深まったシーン。結局レヴューってなんだったんだ……?

 

・嫉妬のレヴュー

花柳香子と石動双葉の痴話喧嘩。賭場にデコトラが突っ込んで、二人の背後にデコトラが並んで不思議空間が演出されるなか二人が心の内をさらけ出しながら殺陣を繰り広げる。

ここのシーンを見てレヴュー=謎空間で屈託のある二人が対決して赤裸々本音トークをする場であるという解釈が生まれる。

 

・大場ななと星見純那のレヴュー

大場ななの独占欲開放シーン……でいいのかこれ?腹切り=腹を割って話そうという解釈で良かったのだろうか。そうだったとしたら非常にジョークが効いてて良いよね。

「私の知らない、お前は誰だ!」

「私は、私が主役の星見純那だ!!」

このシーンがやっぱり熱いよね。

このあたりでレヴュー=謎空間で屈託のある二人が対決して赤裸々本音トークをする場という解釈が自分の中で確定する。もうあとは安心して見れる。

 

・露崎まひると神楽ひかりのレヴュー

シーン的にはもう安心して見れる。

露崎まひるが怖い。これに尽きる。一人で選手宣誓してたり、戸惑う神楽ひかりに向かって「どうして、演じないの?」とかホラーテイストで問うたり。とにかく怖い。怖かった。

 

・天堂真矢と西條クロディーヌのレヴュー

シーン的には一番好きだったレヴュー。激アツすぎて記憶が飛んでる。

「私には、お前を!」(だっけ)

 

・愛城華恋と神楽ひかりのレヴュー

砂漠・東京タワー・アタシ再生産。ハイコンテクスト過ぎて正直なんもわからんかった。お互いがお互いの憧れであるっていいよねって感じ。

あと第四の壁をキリンの先にある何かという形で思いっきり我々視聴者と接近させて来たのはとてもドキドキして、エキサイティングだった。観客が存在しないように見えるレヴュー空間に実は観客は存在し、それは確実な熱を持ってレヴューという劇を熱望していることに気づかれてしまった。劇としての君たち。観客としての私達。アニメーションという無観客の劇に実は観客が存在することを演者に知らせたキリンという存在は悪魔的だよね。本人?本キリン?は燃え落ちて消えやがったし。

あと、トマト=心臓のメタファってのは新しかったなぁ。

渇き、飢え、”次”への意志。それを満たすものとしての、トマト。濃厚な生命の証としてのトマト。

乾いた土壌でこそ濃厚な味になるってところからトマトなのかな。わからん。

飢え、渇き、濃厚なトマトとして育ち、そしてまた、トマトを食らう。示唆的というか、なんというか。かなり重層的なイメージなのかな。

 

・すげー大味なまとめ

それぞれが、それぞれの相手に別れの言葉を告げて、自分で決めたその先へ進むためのレヴュー。スタァライトは必ず別れをもたらす悲劇と言われていたけれど、彼女たちはその別れの先に再会を誓った。それによってスタァライトの悲劇性は回収され、スタァライトのその後にある新しい劇へ、新しいスタァライト=役/自分自身の人生における出会いと別れ、その螺旋的な、時間軸における未来に連綿と続く、繰り返されるスタァライトへ。

無数に繰り返されるアタシ再生産という肯定的な変容。

彼女たちは別れを肯定して、未来へ踏み出した。

次の、舞台へ!と高らかに。

 

 

***

 

 

電車は次の駅へ。歌劇少女は次の舞台へ。

では、我々は?

ひっそりと耳元で問うキリンの声が聞こえた気がした。

30文字に満たない

30文字に満たない、ほぼ最小単位の語からなる思考の欠片にすら値しない文章ではない言葉が動画を流れるコメントのように一瞬脳裏を過ぎって、意識下に何も残さず消える。

書き留めるべき言葉、書き留めそこなった言葉。書き留めるべきでない言葉。つまびらかにするためにはまず書き留める必要があり、記憶する必要があり、心に止め、反芻する必要がある。何時?

そういった仕組みをマインドフルネスと呼ぶとして、その時きっと世界において行かれる。(その必要性はともかく)マインドフルネスに最先端を駆け抜けるには、初めから最先端に位置することが要求される。

効率的でローコストでハイリターン。そのような選択肢だけが光輝いて見える今日この頃、そろそろそういったものから離れられないものか。視野狭窄的なダッシュから景色を眺めるウォーキングへ。それは選択か、落伍か。生まれる時期は選べないのでいつ終わるかくらいは選択できないものか。

年が明けたので去年を振り返る

 去年のことは去年のうちに始末をつけろと思われるだろうし、実際私もそう思う。しかし、29日まで仕事をし、その翌日から帰省を試みるような類のオタクが腰を落ち着けて実家で振り返りを行うことは困難であると主張したい。

 実家には積み上げっ放しの書籍もなく、PCをはじめとしたいつも使っている道具たちもない。こまごまと日記をつけていればそれをまとめればよかったのだろうが、残念なことにそのような質でもない。資料もなく、手持ちのスマホで記憶を頼りに書く気にはならず、年内に書くことはあきらめた(ちなみに、書こうと思ったのは大晦日twitterタイムラインを眺めていたらまとめている人たちがいたためである)。後発も良いところだが、やらないよりはやる偽善、学ぶとは真似ることである等々言い訳を多数並べつつとりあえずやるのである。

 やや反省したので、2021年は記録をつけようと思っている。とびとびになることは承知の上で何とか続けたい。半年近くはてブロ放置してたからね。書けよ、と。

 

 閑話休題。うだうだ書くのが楽しくなってきたので切り上げて、思いついた項目別に並べていこうと思う。それにしても本来は何を書けばいいんだろう……。

 

 

・本の話

 積読はねぇ、徳を積むのと同じなんですよ……。積むとページ数だけマニ車が回るんですね……。

 何はともあれ積んでます。昔から積んだままのもありますし、年内に買って積んだままのもあります。崩してもいるんですけどね…。学術系読み物は重くてどうしても進みませんね。脳みその劣化を感じる。

 小説・マンガ関係はSFの比率が多いかなと思ったけどざっと振り返るとそうでもない。ただ基本的にはSFテイストのあるものがほとんどで、同じくらいでファンタジー。一般文芸はほとんど手が出てないけど、流浪の月はめちゃくちゃよかった。ネット小説読みすぎなんだよな……。紙の本を読みなよ。通勤のときにしか読んでないのはちょっと不味い。けど他の事もしたいんだよなぁ。

 

 手元にある読み途中・積本だけでも書いておく。

 アヴェスタ―/SFマガジン2021年2月号/独学大全/シナリオのためのSF辞典/アクタージュ2~/よふかしのうた/サマータイムレンダ2~/千夜曵獏/意識と脳/ダイアローグ-小説・演劇・映画・テレビドラマで効果的な会話を生み出す方法-/SFマガジン2020年12月号(雪風だけ読んだ)/ユリイカ2020年9月号-女オタクの現在-(千種創一氏の詩は読んだ気がする)/SFマガジン2020年10月号(雪風だけ読んだ)/バイナリ畑でつかまえて(途中まで読んだ)/Babel/昨日星を探した言い訳

 

 今年は読書ノートと称して、気に入ったフレーズや読み途中での感想などのメモをしていきたい。とりあえず何かしらに書き散らし、keepにまとめていこうと算段している。万年筆の使いどころ。

 SFマガジン2021年2月号収録の回樹にて上記のようなメモを作製したが頭への残り方が良い。時間がかかるので、強く感銘を受けそうな予感がするものの身としてもいいかもしれないが、もったいない精神が働きそうで怖い。全部やると挫折しそう。ほどほどにやっていきたい。

 そろそろ電子書籍も始め時かなぁ。絶版とか人気漫画とかね。おすすめされたけど絶版とかねたまにあるんすよ。

 

 

TRPGの話

 Covid-19によりオフラインセッションがほとんど。来年はオンセができるようになっていると嬉しいけどこればっかりはお祈り。

 基本PLばかりやっていて、深く考えない進行してしまっているのでもう少し想定される状況や環境を利用することを考えていきたい。

 1度GMをやらせてもらって、何とかやり切ることができたので(PLの皆さんありがとう)、少し自信が付いた。またシナリオを作ってGMも出来るようになっていきたい。導入をな、スムーズにしないとな……。

 あと、10の位のテンズダイスめっちゃ便利。1の位テンズ2個だと100ダイス判定が混乱するんだよな…。

 

 

テーブルゲームの話

 やっと自分所持のテーブルゲームができた。

 クトゥルフキッチン/最後の巫女/モンスターメーカー

 

 

・同人創作の話

 6作。まぁまぁ、遅筆なりに書いたのではないだろうか、と自分を褒めておく。

 短くてもひと月ひとネタくらいは出せるようになりたいところなので、今後も頑張っていきたい。

 文字書き用のソフトウェアをどうするか考えないといけないんだよな…。office2010とかいう化石はそろそろ卒業したいし。いい感じのソフトウェアがあれば教えてください(一太郎かCC買おうというところが着地点な気はするけれど)。

 あとクリスタ買ってしまったことを白状します。描けるようにもなりたいよね…(死ぬのか)。

 

以下、作品とコメント

 

アリスギア・アイギス(3作)

 ・東雲チヱの不幸な夢と幸福な可能性 

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 1月の作品。年始のガチャで東雲チヱ☆4を引いてアーマードコア味があるバックストーリで一気に気に入って構想含め3日くらいで書き上げたもの。最後のヒントはTLに流れてきたほうずき(Bloodborn)が地下鉄車両内でたたずんでいるイラスト。夢という形で東雲チヱが辿りうる死に方を提示して、そんなことないよ、ちゃんと幸せになれるよっていう話にしたかった。

 

・Continue

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 2月の作品。神宮寺真理のアナザーを引いた兼バレンタインイベントで公式に燃やされた記念作品。めんどくせー女だったので夢の中でめんどくせーことして背中蹴っ飛ばして告白させることしかできなかった。幸せになって。

 この辺で夢が便利すぎると思って出来るだけ封印することにした気がする。

 

・モノにしてよ

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 10月の作品。アリスギアアイギスの同人創作をしている友人3人を焚きつけて話の筋を同じくして各々がどう書くのか比べてみよう!というのが発端で書いた。

 頭の中でもやーっとしてた性別による云々についてちょっと書いてみようと思ってそういうテイストにした。が、あまりにもその辺の理解が拙いのでその辺は不甲斐なく思う。というか、かなり基礎的で古いところまでしか消化できなかった。言い訳ですが。

 それなりにリタ・ヘンシェルをかけたのではないかと思うが、読者の皆様いかが。

 

ボイロ関係(1作)

・晩夏、個チャ、音像

 

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 TLで小春六花と琴葉葵を学パロ的に絡ませるとどうなるだろうという話が出ていて、それに乗って1時間くらいで書いて、めっちゃ雑に発言者に投げつけたやつ。

 外面は良いけどない面が面倒な人と外面も内面も面倒くさい人が組み合わさるとどうなるんだろうなぁみたいなことを考えながら書いていた気がする。この時もだけど、未だに小春六花はわからない。

 あの女、深いぞ。

 

寄稿(こいつ、ボイロ関係寄稿ばっかりだな)

・ゆかいあべや(大学生ゆかいあルームシェア合同)/雛菊書房

 ゆかりとIAを音大生にしてからんでもらった作品。くそ体調が悪い中で書いたので何考えていたか思い出せない。ちょっと面倒なゆかりとストレートなIAという対比で今回の二人の未来が良いものになるように願いながら書いたような気がする。

 

・筆で愛を打ち鳴らせ/雛菊書房

 ゆかりと葵のえっちい奴。純文学とかフランス書院とかと評され、喜ぶべきかそうでないのか悩んでいる。短いなりに二人の内面をある程度書けたのではないかと思っているがどうだろう。

 この合同を読んで、自分の文章には火力がないことに気付く。火力の出し方教えて……。

 

 

・コーヒーの話 

エスプレッソマシンに続いて自動焙煎機のGenecafeを導入。最近やっと丁度良いプロファイルができた来たと思う。先達の友人のおかげで生豆の入手にも困らず、楽しくコーヒー生活できるようになった。現在、キッチンカウンターには4種の焙煎豆が並んでいる。

 反対に店売りの豆を買う余裕がなくなったので悩みどころ。この文章作成時点で生豆の在庫は約5㎏ほどある。いつなくなるんだこれ。

 あと、イエメンの内戦が終わりそうになくって凹んでいる。というのも、もう2年以上前になるがイエメン産の豆を飲んでいたく感動したため。当時、すでに戦火が上がっておりこのLotが最後かもしれないと店で言われその通りになってしまった。最近友人からイエメンのニュークロップが出ていると聞いたので、コーヒー周りは幾分大丈夫なんだろうか?なんにしても、内戦の平定を願うばかり。

 

 

・旅行の話

友人に連れられて全4回(か?)ほど。

 浜名湖畔にて、東方同人音楽周りの方々と。

 伊豆へ友人たちと。

 京都へ伊豆旅行の友人たちと。祇王寺が最高すぎる。あとお香。

 岩手へ高校からの友人と。

どれもいい旅だった。当たり前だけど、面子によってテイストが全然違うんだよね。

 

 

・仕事の話

 異動した。忙しさは幾分減ったが、異動したばかりだからかどうかというところ。忙しくなりたくないなー。

 うち帰って飯食って寝るみたいなことができる気がしない。趣味しないと死ぬ。

 

 

・PCの話

 グラボと電源を変えた。

 GTX750TiからRTX3060TIと一気に新しくなったのでPCゲームどんどんやって、配信兼ログ取りしたり、動画作れたりしたらいいよなーと思う。

 ソフトウェアとしての結月ゆかりを所持しているし、小春六花もお迎えするので(CFに参加した)二人に出てもらうようなものにしたいよね(予定は未定)。

 

フロムさん!!!エルデンリングのPC版、待ってますからね!!!!!

 

 

・ベッドの話

 ベッドも変えた。ニトリの低反発マットレスを10年近く使っていたんだけどとっくの昔にヘタっているのと、低反発の沈み込むタイプの挙動によって悪い姿勢がそのままになってしまうのを改善することにした。

 購入したのはAirのHardタイプでまだ買って一カ月も経っていないので今後の効果に期待。筋トレとか、柔軟とかもしないとな―。

 巻き肩とか猫背とか腰が丸くなってるとか、そういう現代人が成りそうなの絶賛やってるので…。

 

 

・音楽の話

 久しぶりにギター引っ張り出して、見事3日坊主になった。猛省。

 カラオケは頻繁に行くようになった。上手くならないけど。歌い込むか、レパートリー増やすか悩みどころさんしてる。歌い込んだ方が点も出るし上手くなるんだろうなって感覚はあるからそっちかなぁ。

 今年はデカい即売会もなかったし、そんなにCD増えてないよなーとか思ったらなんだかんだ20-30枚くらいは買っていそうな予感(数えてない)。

 ただ、聞きこめなくなってきたり、リッピングしても聞かなかったり、なんかこう、よろしくない。

 読書にも文字書きにも当てはまることだけれど、時間や体力的なリソースの配分を何とかして調整していかないとどんどん何もできなくなってしまう感覚が怖い。やっていきましょう。やっていきます。

 

・推し活の話

 イヌイトコ!!!

 歌だけじゃなくて、話してることもとても良いんですよ。雑談も一度聞いてみて?

 や、1stソロライブ、本当に良かった。BD出て欲しいなぁ。あと、次もその次もね。今回はチケット抽選に落ちてしまって配信で見たけれど、いつか現地で、声出して、腕振ってってやりたい。

 あとCDも待ってます。

 

 

・アニメの話

 ぜんっぜん見れてない。というか社会人になって以来ほとんど見れていない。

 今期は辛うじて呪術廻戦を見ている。マンガで描ききれなかったんだろうなって部分が見事に、丁寧に補完されていて見ごたえがある。アニメのおかげで真人がちゃんと嫌いになれました。

 

 

・2021年の話

 生きるならば健康でありたい、のでこれが1番。ストレスとか体調不良とかですぐダメになるんですよねー。強くなりてー。

 質的に良質なインプットを心掛けていきたいというのが2番。

 入れたらアウトプットしようっていうのが3番。

 どちらもメモすることができるようになるだけでずいぶん改善する気がしているので、もっとも行うべきは「文字に起こす」ことかも。

 

 読んだり、聞いたり、書いたり、描いたり、ゲームしたり、おしゃべりしたり、やりたいことなんて無限にありますわね。頭良くなりてー。

 

 

そんな感じで今年もよろしくお願いします。