言も積もれば葉

長話したいときもある

劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライトのネタバレ込み感想

はい、というわけで見てきました劇場版レヴュースタァライト

TLがアニメ放映からずっとざわついていて、映画になってまたざわついて。気になってはいたんですよ。ええ。

3連休最終日をizotope11点セットをアクティベートするだけで終わらせるな、華々しく終わらせろとというゴーストの叫びに蹴っ飛ばされてやっとこさ見てきました。

 

視聴前のステータスとしては、”作品名以外知らない”。

 

詳しく言えば、TLでは「スタァライトする/される」といった本質的な意味を取得することが不可能なミームとしてスタァライトという単語だけが跋扈し、なぜか大場ななの存在だけ覚えている(たぶん誰々は大場ななが好きになるはずだといった空リプが目に入ったのだろう)、という9割9部知識無の状態だった。ということになる。ややこしい。

何はともかくTLはスタァライトされた人々が、そのツイートだけで目が輝いている、まさしくスタァライトされた状態が鮮明にわかる、しかし一体どんな状態なのかはわからないといった具合だった。

 

わからない状態には自分がなってみるのが一番早い。というわけでスタァライトされてきた次第である。

しかし結局、書いている今もわからない。しかし、たしかにスタァライトなのだ。君もスタァライトされろ。君だけのキラめきを見つけろ。キラめけ。スタァライトだ。

 

閑話休題

 

さて、本作の優れた点。とにかく構成がとても丁寧で、前情報なしでも非常にわかりやすく、嫌にならずに大枠を掴むことが出来るという点だと思う。

これ、これが本当に丁寧。すごい。だって初見でわかるんだもん。

このタイプの、つまりアニメが前身となっているタイプの作品ということだけれど、キャラクターやその関係性や、何ならそのアニメのストーリー自体を把握していないとどうにも解像度が上がらないという恐れはどうしても拭えない。実際不安だったわけだけれど、問題なく見ることができたということ。

 

というのも、要となるシーンでは基本的には対になる二人しか登場しないので人物に関する情報が交錯することによる混乱というものがとても少ない。世界観的には混乱させられるけれど、登場人物たちの造形と関係性の把握で混乱することはない。

ツッコミを受けそうだけれど、この劇場版は大きく3つのパートに分解できるという立場を取る。パートを下記する。

1. 学園における8人(神楽ひかりは除く)のパート

2. 愛城華恋と神楽ひかりの幼少期のパート

3. レヴューのパート

劇場版の味わいどころは1と2を下敷きとした3のパートと思う。

(各パートの説明において、曖昧な部分があるがご容赦。なにせ1回見てこれを書いているのだから……。)

 

1では卒業を控えていると思しき8人の進路調査が主に描かれた。8人の希望する進路を我々は知り、概ね別々の路線に進もうとしていることが提示された。その進路は一部の面々にとっては挫折の結果とも取れるような発言を花柳香子がする。

これだけでめっちゃわかりやすい。細かい各々の造形はともかく8人が8人なりに自らの蹉跌と折り合いをつけようとしていること、各々がそれぞれの理由で燻っていることがわかる。

先の話をしてしまうけれど、ここでその燻りは対となるキャラクター同士の関係性や屈託だった。ただ、1のパートでは表立って描かれないので、レヴュー中の二人が大立ち回りをする動機がちょっとわかりにくいよねとは思った。というか、自分が戸惑った。このあたりはアニメ見てるとわかるところなのかな。

 

2.で語られるのはそのまま、華恋とひかりの幼少期のストーリーだった。これに関しては自分は情報という形で処理してしまったので、二人が幼馴染で、幼い頃から歌劇の演者としてあったのだなというくらいで止まっている。ともかく、劇中において二人は宿命的に相棒であり対決する表裏の存在であることが強く押し出される。

ここも、アニメ見ていると、華恋とひかりへの造詣が深まる点なのかなという感じ。ここでエモを深めておくと最後のレヴューのエモ度がバク上がりしたのかもしれない。初レヴュースタァライトが劇場版であることのもったいないポイントかも。自分は二人のレヴューが殤不患が魔剣を使い出したくらいのシーン構成的なパーツとしてみえてしまったんだよね。感想を書いていくと、事前情報無しだともったいないところが出てきてしまうな。

 

3のが本命のパート。少女たちがレヴューと呼ばれる空間(便宜上こう表現する。詳しい人補足で教えて下さい……。あの空間は一体何ですか……。)のパート。

1対1のレヴューが繰り返され、積み重なり、エンディングへと駆け抜けていく。

このパートすごいなーと思っていて。まずこのパートが最初の大場ななが大暴れする皆殺しのレビュー(だっけ)以外は、”対になる二人が戦闘しながらお互いへの思いを吐露する”という構造の繰り返しで構成されているというこの点。これが、とにかく我々の頭を混乱させないとても親切な構造ということ。

これのおかげで、キャラクターがたくさんいながら、初見でも混乱せずに彼女たちの個性と関係性の両方を把握・記憶できたと言って過言ではないと思う。

 

それぞれのレヴューについて話しながらまとめへ。

・皆殺しのレビュー

電車は必ず次の駅へ。では、歌劇少女はどこへ?という問いがなされるシーン。

大場なな大暴れの巻。正直葉之倉はこれがキャラクターたちにとって何だったのかよくわからない。レヴューのルールというか、金色のボタンを切られたら負けというのが提示される初見救済ポイント。

いきなり大場ななが悟ったと思ったら全員に切りかかっていって全滅したとしかわからない。学園編で「みんな話し過ぎだよ」とかクールキャラ決めてた大場なながいきなり全員に切りかかって大場ななの謎が深まったシーン。結局レヴューってなんだったんだ……?

 

・嫉妬のレヴュー

花柳香子と石動双葉の痴話喧嘩。賭場にデコトラが突っ込んで、二人の背後にデコトラが並んで不思議空間が演出されるなか二人が心の内をさらけ出しながら殺陣を繰り広げる。

ここのシーンを見てレヴュー=謎空間で屈託のある二人が対決して赤裸々本音トークをする場であるという解釈が生まれる。

 

・大場ななと星見純那のレヴュー

大場ななの独占欲開放シーン……でいいのかこれ?腹切り=腹を割って話そうという解釈で良かったのだろうか。そうだったとしたら非常にジョークが効いてて良いよね。

「私の知らない、お前は誰だ!」

「私は、私が主役の星見純那だ!!」

このシーンがやっぱり熱いよね。

このあたりでレヴュー=謎空間で屈託のある二人が対決して赤裸々本音トークをする場という解釈が自分の中で確定する。もうあとは安心して見れる。

 

・露崎まひると神楽ひかりのレヴュー

シーン的にはもう安心して見れる。

露崎まひるが怖い。これに尽きる。一人で選手宣誓してたり、戸惑う神楽ひかりに向かって「どうして、演じないの?」とかホラーテイストで問うたり。とにかく怖い。怖かった。

 

・天堂真矢と西條クロディーヌのレヴュー

シーン的には一番好きだったレヴュー。激アツすぎて記憶が飛んでる。

「私には、お前を!」(だっけ)

 

・愛城華恋と神楽ひかりのレヴュー

砂漠・東京タワー・アタシ再生産。ハイコンテクスト過ぎて正直なんもわからんかった。お互いがお互いの憧れであるっていいよねって感じ。

あと第四の壁をキリンの先にある何かという形で思いっきり我々視聴者と接近させて来たのはとてもドキドキして、エキサイティングだった。観客が存在しないように見えるレヴュー空間に実は観客は存在し、それは確実な熱を持ってレヴューという劇を熱望していることに気づかれてしまった。劇としての君たち。観客としての私達。アニメーションという無観客の劇に実は観客が存在することを演者に知らせたキリンという存在は悪魔的だよね。本人?本キリン?は燃え落ちて消えやがったし。

あと、トマト=心臓のメタファってのは新しかったなぁ。

渇き、飢え、”次”への意志。それを満たすものとしての、トマト。濃厚な生命の証としてのトマト。

乾いた土壌でこそ濃厚な味になるってところからトマトなのかな。わからん。

飢え、渇き、濃厚なトマトとして育ち、そしてまた、トマトを食らう。示唆的というか、なんというか。かなり重層的なイメージなのかな。

 

・すげー大味なまとめ

それぞれが、それぞれの相手に別れの言葉を告げて、自分で決めたその先へ進むためのレヴュー。スタァライトは必ず別れをもたらす悲劇と言われていたけれど、彼女たちはその別れの先に再会を誓った。それによってスタァライトの悲劇性は回収され、スタァライトのその後にある新しい劇へ、新しいスタァライト=役/自分自身の人生における出会いと別れ、その螺旋的な、時間軸における未来に連綿と続く、繰り返されるスタァライトへ。

無数に繰り返されるアタシ再生産という肯定的な変容。

彼女たちは別れを肯定して、未来へ踏み出した。

次の、舞台へ!と高らかに。

 

 

***

 

 

電車は次の駅へ。歌劇少女は次の舞台へ。

では、我々は?

ひっそりと耳元で問うキリンの声が聞こえた気がした。